95年の終わりにはノービスを脱出した、みっちーでしたが、その後は何かと忙しく、練習できない日々が続いていました。
そんな状態で迎えた、96年の開幕戦。 何となくセパハンのCBR250で続ける事に、限界を感じた気がして・・
(限界はそんなに低くはないのですが、その時は練習不足をバイクのせいにしてしまった)・・遂に、600を持ち出す決意をしたのでした。
600のカウルを外してアップハンにしてしまえば、もっと楽しく走れるはず♪ ・・と、単純に、そう考えていたのでした。
しかし、現実は、そんなに甘い物ではありませんでした。 重たいフロントカウルを外せば、CBR600は、極端にバイクのバランスが変わってしまう。 そのバランスを作り直す為に、セッティングをして行かなければならない・・なんて、ノービスあがりのみっちーには、知る由もありませんでした。
メーカーの作り出した「ノーマル」が、如何に優れた状態か・・ それを崩して一からマシン作りをする、という事が、どういう事か・・ みっちーのC2時代は、そんなマシン作りとの戦いでした。
アップハンには、してみたものの、思い描いていた状態とは程遠く・・、恐くて、恐くて・・、乗れないんです。
デトネーションの合宿にも参加させて頂いて、セッティングも色々見ては貰ったものの・・ デビューを飾ろうと思っていた、「ダンロップ杯・第3戦」は、朝から、雨だし・・。
とても走らせる勇気が持てず、結局、某A級選手のスーパーチョロQを貸してもらって、出場しました。
でも・・、CBRに乗らずに済んだ安堵の傍らで、一生懸命、面倒を見て下さった先輩方のご好意を無にした思いは・・、自分の心に後悔として残りました。。
結局、デビューは「ダンロップ杯・第4戦」 筑波で行われた大会でした。 タイム比124%・・・ 何処を走っても常に、CBR250から10%落ちのタイムでした。
その年の12月神戸で、ダンロップ杯のスペシャル・ステージがありました。 初めて行った、大会遠征。 何台ものトランポで隊列組んで、何だか学生時代の修学旅行の様な気分で・・、凄く楽しかった事を、覚えています。
クラブに入って、ジムカーナをやって行きたい・・。 そんな風に思う様になり、みっちーは、その翌年、それまで続けて来た講習会のクラブを辞めて「デトネーション」に入部しました。
大会での成績の方も、どうにか115%前後をウロウロできる様になり・・、辛さの中にも、少しずつ、楽しさを見出せる様になりかけた、97年「ダンロップ杯・第3戦」 ・・7月の、錦が原の事でした。
外周の一番スピードの乗るコーナーで、みっちーは大転倒をしたのでした。 その日の朝に渡された、新品の夏物チームトレーナーは、僅か10分でボロボロ状態・・。 左肘には、擦過傷を負い・・、痛さと恐さで、精神的には、まともにバイクに乗れない状態。
でも、ここで止めたら、自分に負けてしまう気がして、どうにか続けては居たけれど、気持ちは完全に崖っぷち。 常に「止めたい・・、止めたい・・」と、思う様になっていました。
そんな折、最終戦を目前に控えた、筑波の練習走行中に、フロントからの握りゴケで、またしても左肘を20針ほど縫う怪我をしてしまいました。 それと同時に、左膝は皮パンの膝カップで打撲をし、最終戦へのエントリーを、諦めざるを得ない状態となりました。
「やっと休める・・。」「これで大会に出なくて済む・・。」 悲しい事に、それが、自分の本音でした。
初めて客観的に見た、ジムカーナ大会。 自分が走ると、1秒2秒のタイムに一喜一憂して、遅いの速いのを言っているけど・・ 傍から見たら、そんなの殆ど分からない様な速さの違いで、とにかく、みんなカッコ良くて、輝いていて・・、 そんな仲間と、あの中で一緒に走れているはずなのに、全然、楽しんでいない自分が、何だか凄く馬鹿みたいに思えたんです。
怪我をして、走れなくなって ・・そして初めて、「走りたい」って思いました。
98年。 相変わらず目立った成績こそ無いけれど バイクに乗って、みんなと走っていられる事が楽しくて、緑ゼッケンを付けてる自分が、ちょっと誇らしく思えていました。
そして、たまたま7月の「JTC杯・第3戦」で、ZRX1100でKBクラスに出てみる事になったのですが・・ 借り物バイクで、予想もし得なかった好成績を残す事ができたのでした。 タイム比111% KBクラス・第4位。
この事は、自分の中で大きな自信に繋がりました。
C1級に昇格したのは、それから間もなくの事でした。 「ダンロップ杯・第3戦」で、110.09%を出し、その翌月の大会では、109%で昇格しました。 98年「ダンロップ杯・第4戦」クラス2位。
あれ程、遠かったC2級の表彰台が、2年半の苦悩の末、やっと自分の所に降りて来てくれました。
コメント
復帰できて良かったですね~(^^)
おやきツー参加テスト(ぶっちゃ毛、馬鹿らしい儀式だと思いますが…)を兼ねた下見ツーリングですね?
その時は、まさかこんな…おっと、ここから先のコメントは控えさせていただきますデス(笑
やっと回線が復帰しました~♪
そうなんですよ~。そんな時代もあったんです。
とにかく転びまくってて、新品バンパーが1年で磨り減っていました。。
店長と会ったのは、それから少し後でしたっけ?
麻績の辺りの待ち合わせで初めて会って、いろは堂に行ったのを覚えています。
(その前に会ってたのかもしれないけど、記憶にあるのは、そこからです)
今もこうして楽しく続けていられるのは、支えてくれた皆さまの力のお陰です。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
98年ころといえば、私がジムカーナ始めたばかりのころで、ツーリングイン茅野があった当時のことと思います。
みっちーさんやぶん様、その他にも大勢の方が練習にきた時、驚異的な走りを見せ付けられ、「あんなふうに走れたらな」と思ったことを思い出します。
しかし、こんな涙話があったとは・・・。
やっぱり短い?
色々な意味で、その頃のミッチーさん見てみたいな~
あ~あれは伝説の転倒ですね~
何m滑走したか調べました(^_^;)
でもホント頑張ってきたよね!
これからも楽しく走りましょう(^_^)v
店長さんの短いコメントですが、
ある意味かなり興味深いコメントと思います・・・(謎)
そういえば、みっちーさんの肘の怪我について
以前、某練習会で転んでみっちーさんに手当てを受けた時に、過去に肘を怪我した事を
話されていた覚えがあります。
その時の私の傷は大した事はないのですが、傷口に消毒液をかけるみっちーさんは容赦しなかったですねー
「大丈夫、私の怪我と比べれば・・」(笑)
そんな時代もあったんですね~(;;)