今年の耐久レースでは「勝ちのライン」に、こだわっています。 マシンのポテンシャル的に、到底、相手にならないチームが存在するので・・・、レースの中での勝ちではなく、自分の決めた「勝ちのライン」に到達するという事に。
何故、その事にこだわるのか・・
それには一つの理由があります。
今、ジムカーナでの自分の過去のデータを、地道に調べ直しています。 それは「データを調べる事で、見えてくる物がある・・」と、某先輩に教えて頂いたからです。 でもリザルトが、余りに沢山あり過ぎる上、今週はレースの準備もあるので、少し滞り気味なのですが・・、それでも、少しづつですが、徐々に出来上がっています。
数字しか書いてないリザルトは、他人から見れば、ただの順位の一覧表にしか過ぎませんが、自分が見ると、一戦一戦の状況や思い出が、ちゃんと記憶に残ってるんです。
「あ~、このタイムは、あそこで転んじゃった時だ・・」とか
「2ヒート目の出走直前に、土砂降りに遭ったんだっけ」とか
「この時は、嬉しかったなぁ~」とか。
2001年から丸5年間・・、中井耐久を開催し続けて来たのですが、レースの方でも5年分の、自分の成績が残っています。 そして、5回のレース結果と、5年間のジムカーナでの成績が微妙に似通っている事に、気付いたのです。
それは、単なる「こじつけ」なのかもしれないけれど、でも、面白い位に、「中井の結果とジムカーナでの浮き沈み」が、毎年、連動しているんです。
みっちーが、中井の耐久で優勝したのは、2001年の第1回と、2004年の第4回。 勿論、一緒に組んだ「相方の力」あっての事ですが、でも、優勝に至る為には、自分自身も、頑張らなくてはなりません。
そして、ジムカーナの方では・・・、2001年はB級で、一番成績が良かった年です。 ダンロップ杯・第3戦、真夏の熊谷で初めてB級で優勝して、総合でも8位に入る事ができました。 表彰台に上がれたのは、そのシーズンは、その時1回きりでしたが、常に、あと一歩で入賞・・という状態でいられたし。 一番、思い出に残っている年でもあります。
2004年は、JAGE杯の第3戦でB級6位入賞。 総合でも13位に入る事ができ、初めて「シリーズポイント」という物を頂きました。 あと、開催自体は台風後のコース水没アクシデントで、水に流れてしまいましたが、JAPAN全国大会での、代表にも入れて頂き・・、錚々たるメンバーの中に、自分の名前を並べて頂いたのでした。 実力的には到底及ばなかったけれど、長くやって来た事で、「少しだけご褒美を頂いたのかな?」って、思っています。
KSRも、エンジンいじくって、チャンバー入れて・・、マシンを速くしてしまえば、ベストタイムは、上げられるかもしれないけれど、それでは、自分の成長が見えて来ない気がするので、そこにはあえて手を下さず・・・、レースだから、何が起こるか分からないし、チームで戦う訳だから、自分だけではどうにもならない事もあるけど・・、それでも「自分がチームの敗因」になる事だけはしたくない・・。 それが、頑張る全ての機動力でした。
そんな理由で、「勝ちのライン」にはこだわってるけど、それはレースで、「勝つ事」に、こだわっている訳ではなく、そう信じて頑張る事で、今の自分のジムカーナでの突破口を作りたい・・っていう、自分への望みみたいな物なんです。
今年の中井の成績が、ジムカーナでの成績にも反映してくる気がするので・・。
レースまで、あと4日。
ちょっと、ドキドキして来ました。